2023/07/14
あなたが生きることで誰が笑顔になるのか?|ガードナーの言葉
NAME:船長
なんのために生きるのか?
なんのために学ぶのか?
なぜそれをするのか?
あなたが生きることで誰が笑顔になるのか?
それを問い続けて、30年の生涯を全うした吉田松陰。 人生のゴールがここまで明確にした人間は他にいないでしょう。
「知るだけではダメだ。知ったことを実行する事が大事だ。」という生き方を私は吉田松陰から学びました。
今から、170年前江戸湾の浦賀にペリー提督率いるアメリカ海軍艦隊の黒船が乗務員1000人も乗せて現れました。日本の大型船の20倍の大きさです。大砲は最新鋭カノン砲。日本人には大きな城が海の上を走っているように見えました。
吉田松陰は日本が侵略されるのは時間の問題だと思い、「僕は乗り込む」と反射的に浦賀に走り始めていました。走りながら考える吉田松陰は当時25歳。ジョン万次郎と同じ漂流作戦は大失敗しますが、獄に繋がれても「僕はなぜ生きるのか?僕に生きる意味はあるのか?」と自答したあげく、「僕らが生きる真の目的は内側にある魂の変容をもたらすことだ」と牢獄の仲間を全部先生にして、牢獄が熱くなり、長州中の噂となり、主君毛利敬親が「松陰を牢から出せ」と言われるまでになります。
この安政2年(1855年)が後に日本の夜明けの幕開けとなる松下村塾スタートです。たった2年間の松下村塾ですが、「なんのために学ぶのか?」を入門を希望する人たちに聞きます。
生きる理由は何だ?
何を目指すのか?
なぜ目指すのか?
誰が先生でもないお互いが門下生、人はみな平等なのです。
私のことを「僕」、あなたのことを「君」と言ったのは吉田松陰が最初です。漢文では僕は「しもべ」、君は「主君」なのです。つまり自分を下にして付き合うために開発した呼び名です。
「至誠にして動かざるは、未だこれあらざるなり」まごころで説けば動かない人はいないという吉田松陰の信念です。
そして徳川幕府260年の歴史のなかで、真正面から幕府批判をしたのは吉田松陰ただひとりです。その結果松陰は30歳の若さで処刑されます。
その処刑を知った高杉晋作は声にならない声で叫びました。
「徳川幕府!見てろ!必ず僕がぶっ倒す!」
結果、伝説の松下村塾で、高杉晋作、久坂玄瑞、桂小五郎、伊藤博文、山県有朋、井上馨・・・が輩出されて日本の夜明けと向かっていったのです。
自分はなんのために生きるのか? ここで自分に問うてみませんか? なんのために。
<ガードナーの言葉より>