蛭川高重の人生
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1981年昭和56年
愛知県岡崎市に爆誕
親は医療従事者の幸せな家庭に育ちます。
スポーツとは無縁な幼少期を過ごしていました。
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小学校~中学校
スポーツと筋トレとの出会い
小学生高学年から兄の影響で柔道を始める。
小学生の頃は一回も勝てない選手でしたが何故か半端ない自信があった。
小学校6年生からウエイトトレーニングを始める。早くからスタートした筋トレの効果もあり中学校は無名中学校の出身ながら個人戦で県大会出場を果たす。
県強豪校からのスカウトがあり、本格的な格闘技漬け、トレーニング漬けの生活がスタートする。
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高校時代
国士舘大学体育学部武道学科に進学
高校では愛知県大会優勝、国体の強化選手となり、国士舘大学体育学部武道学科に進学する。
強豪校のレベルの高さや持病や怪我により柔道を辞める。
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大学時代
総合格闘技やキックボクシングとの出会い
大学在学中に総合格闘技やキックボクシングに出会い、プロ格闘家としてのキャリアや教員としての将来を考えるようになる。
結果的に就職を選び、専門学校の専任の教員として就職。
ここで社会人としての基礎を学んだ時期が社会人としての基礎を作った。
捨てきれない夢や熱い思いがあり、夢であった教員の仕事を一年で退職し格闘技のプロ選手としての活動を再開。
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プロ格闘技時代
立技格闘技時代
総合格闘技選手としてのスタートを希望していたが、キックボクシングジムに所属していた為、キックボクサーとしてプロデビュー。常に格上と闘うマッチメイクで腕を磨き続け、投げありの立技格闘技シュートボクシングでメインイベントに抜擢そして大番狂せを起こす。
ちなみにリングネームは先輩から飲み会で名付けられたリングネーム「クレイジーヒル」正直名前なんてどうでもよかった時代。
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挑戦総合格闘技への転向
素手、頭突き、投げなんでもありの最強格闘技ミャンマーラウェイに挑戦するために日本代表としてミャンマーで戦う。より自分自身を高めるために強さを求めて、挑戦総合格闘技への転向
選手を続けながらパーソナルトレーナーとしてもを10年活動引退
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パーソナルトレーナー時代
引退後はパーソナルトレーナーとして活動する傍インフルエンサーとしての活動もスタート。
インフルエンサー活動を通じてガードナーと出会い大きな価値観をいただく。
人間としてより自分が楽しいと思うことに振り切りひたすらに自分が良いと思ったガードナーフィットネスベルトを多くの人にインフルエンスする日々です。
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目指すもの
フィットネスインフルエンサーとして自分の愛するフィットネスベルトを通じて日本をより健康的にしていきたい。そんな気持ちでガードナーフィットネスベルトのインフルエンサーの顔として矢面に立ちます!
「楽しく自分良いと思った物の情報をより多くの人に届ける。自分が伝えるものならきっと良い」と思ってもらえる関係を目指し続ける。
中学、高校、大学と柔道に打ち込み、高校愛知県大会優勝などの実績を残し、国士舘大学に進学、専門学校の教員になるが退職、2005年プロデビュー。キックボクシング、シュートボクシング、でメインイベンターをつとめる。そのほかに、総合格闘技、中国散打、ミャンマーラウェイ、サンボなど多彩な格闘技大会や国際大会への参加履歴を持ち、トレーナーとしてのキャリアも深い。
豊富な知識と経験に基づいた独自のメソッドに定評がある。多くの芸能人クライアントとトレーニングを楽しむクレイジーな愛犬家。
パーソナルトレーナー、元プロ格闘家、元教師、tiktoker(フォロワー現在14万人)、フィットネスインフルエンサー、格闘技引退後はコンテストでの入賞多数
インフルエンサーとしてフィットネス用品やサプリメントの販売促進関連のSNS運用のアドバイザーを務めるなど様々な分野で活動中です。
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得意なトレーニング指導
ボディメイクトレーニング
加圧トレーニング
キックボクシングエクササイズ
機能改善エクササイズ
アスリートコンディショニングエクササイズ
蛭川高重現役の頃のPV
https://m.youtube.com/watch?v=0LUR3Ohhyfw