内田幸宏
取締役副社長 兼 開発
みんなのムードメーカー
ものづくりはこの人から始まる!
趣味:テニス・カラオケ
好きな場所:ハワイ
内田幸宏の人生
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1965年
佐賀県生まれ。
幼少のころ、肌の色が白く、恥ずかしがりやで人前に立つと赤面する幼少時代。
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1975年
「ものづくり」の原点
小学校当時は勉強は苦手で、工作と絵が好きで幾つかの賞をとる。運動会で競争は一等賞を多くとる。今の「ものづくり」の原点は、ここにあります。
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1984年
大学へ進学
中学・高校と漠然と将来を考える。就職を決定する事は出来ず大学へ進学する。
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1987年
「忍耐力」を強化
大学時代は、某新聞奨学生で新聞配達と勧誘と集金をする毎日。この貴重な4年間の経験が私の「忍耐力」を強化する。
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1992年
某会社へ新卒で入社
入社した決め手は当時の社長のファンになった。同時に今のガードナーの社長福山さんと出会う。(当時の上司でもある)
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2019年
ガードナー株式会社の設立
父の他界とともに30年務めた某会社を退職し新たにガードナー株式会社の設立に福山と奮闘・開発の日々。最初に開発した「ルームシャンプー」です。
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2022年
白い眼鏡に変身する。
白い眼鏡になったのは、福山さんと博多駅構内を歩ていた時に、偶然目の前にあったメガネ屋に福山さんが入った一瞬に私のメガネを購入。メガネを数秒で購入した事は今までなく、なぜ「白い眼鏡」にと思いましたが、このメガネが以後、展示会や営業で大きな武器になる。
今は白い眼鏡でないと内田ではない。(笑)最後に、今まで出会った方々に感謝!感謝!です。
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ラジオ出演
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開発の経緯
小さいころから人見知りで人前に立つと赤面する性格でした。
勉強もあまりできる方ではありませんでした。ネガティブ思考でしたが、絵と図工・工作の時間が好きで自己アピールする手段として最高の時間でした。その当時から将来仕事として「モノづくり」の業界で就職したいと漠然とおもっていましたが、 社会人として就職した先は、真逆の営業職でした。
決めた理由も当時の社長の考え方に、惚れただけでした。
その志向は現在も通じる事にもなります。私は、前職の上司であった福山さん(現:ガードナー㈱取締役社長)と出会いが今までの私の人生感を根本的に変えてしまったのです。
簡単にいうとネガティブ思考からポジティブ思考へ変わった。
その当時の営業活動の中に、製品開発の話をいただき上司命令として営業をしないで密かに倉庫で隠れながら開発をする日々を重ね。商品化した「アイパッカー」が今の開発の原点にあります。
人の為になる製品を創る事で、喜んでいたでいただける方がいる事が、私の心に火をつけ、今に至っております。 -
今までとこれから
ガードナーの設立のきっかけにもなった「ルームシャンプー」の開発は、本当に私の技量を最大限に上げ、開発の難しさとともに失敗を重ねる事で、次のヒントがひらめき、「失敗」は精神的にも肉体的にもダメージが大きいですが、「失敗」する事が如何に大切なのか思い知らさせれました。
この「ルームシャンプー」製品化した後は、とにかく皆さんに知って頂く事が大切でありその為に、展示会出展の日々でした。
日本ならず外国へ出展して、そこで出会う方々が「こんなものが欲しかった」と言われた時ほど開発をして良かったと思い、今までの苦労が報われる瞬間でした。
また、外国語を話せない私が中国やアメリカで製品の良さを身振り手振りで、最高の笑顔でお伝えしたいという思いを込めて紹介すると言葉以上に相手に私の思いが繋がっている事を互いに感じる瞬間多く体験する事が出来ました。
現在も色いろな開発を手掛けておりますが、私のモチベーションは「人の為になるもの」こんなものがほしかったと思わせるものを今後も製品開発し営業を続ける事が、私のミッションであり私の存在価値がると自負しております。