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ルームシャンプー

テレビ西日本放送 開発ストーリー
なぜルームシャンプーを作ったのか?

きっかけは親不孝すぎた半生― 
 私自身は両親からみると心配や面倒ばかりかけてきた本当にどうしようもないバカ息子だったと思います。
ここまで親の期待を裏切った息子も少ないかもしれません。
親になって初めて分かる子供に対する「手間」と「愛情」を、私は完全に無視して生きてきたような気がします。


 高校生のとき空手が好きで好きでたまらなくて、勉強は一切せず本当の空手バカでした。
おかげで学業は42人中41位で先生からも見下されていた学生時代。
朝から晩まで空手空手空手。
しょっちゅうケンカもしていました。
そのたびに私の父は相手の親に、平身低頭でペコペコ頭を下げて謝っていました。
それでも反抗期の私は知らぬ顔。
ある日、異常なほどに何度も何度も頭を下げ続ける父を見て「なんか悪いことしたな」と思い、帰りの父の車で助手席にいた私は「ごめん」と一言言ったのです。
すると父は前を向いたまま、
「いいやないか。終わったことや。」と。
私は自分を抑えられず泣き崩れました。

ハワイで貧乏暮らし― 

 大学でもやっぱり空手ばかりで勉強せず、空手で海外に行きたいという妄想がなんと現実に。
ハワイ大学非常勤講師として空手指導員の仕事でハワイへ行くことになります。
そこでも日本の家族に書くエアメールは馬鹿丸出しで両親はあきれていたそうです。
その手紙は亡くなった父親が大切に取ってくれていて、それを今読み返してみると、目の前にその男(私)がいたら殴ってやりたいくらいどうしようもない人間でした。

空手指導員だけには収まらず、ハワイでビジネスをして大失敗し、友人にお金を借りたもののすぐに底をつきスーパーマーケットの試食コーナーで食べていたら警備員に蹴られ、魚を釣って食べたりして、結局三年目にヨレヨレになり帰国した私を見た父のあきれ顔が忘れられません。
人に会うたびに、「うちの克義をどうにかしてやってくれんね?」と真顔で言ってました。

脱サラ失敗、父は病に―

 会社員となり、結婚して子供もできました。
ようやくおとなしくなった?と思ったらまた脱サラして大失敗。
息子が5歳のときに「おとうさん画用紙買うけん50円ちょうだい。」と言われたとき、私のポケットには25円しかなかったのです。
そのとき私は人生で一番辛いと涙を流しましたが、そのことを知った私の父はもっと辛かっただろうと思います。

その父がガンになりました。
私がいつも心配かけすぎたのが原因ではないかと償いきれない罪悪感でいっぱいです。
入院している父はガンという病気の辛さと同じくらいに頭が洗えない状態であることが辛いと嘆いていました。
私ができたのは熱い濡れタオルで拭いてあげるくらいです。

そのまま父は亡くなってしまい、私は ゴメン、ゴメン、ゴメン、と言いながら泣き崩れました。

私は父に対して親孝行できたのだろうか。
それどころか気持ちの良い介護すらしてあげられなかった。
父を思い出す度に、もっとしっかり頭を洗ってあげられれば良かったと今でも心が痛みます。

ある日、友人の看護師に、病院では患者さんの頭をもっと洗ってやればいいのにと言ったら、大変なのでそんなことできるはずない!と言います。
「頭洗う機械ってないの?」
「ない。高いのしかない!」

それなら、私が作ってみせる!― 

 父にしてあげることができなかったシャンプーが簡単にできるマシンを作ろう!
そう固く決意したのです。
親孝行はしてやれなかったけど、今からその事を成す!と。
そのバカ息子が作った手作り試作第1号機がこれです。

ものづくりが大好きな私は、失敗と改良を何百回も繰り返し、いろんな人に助けられながら、やっと納得のいく機器を完成させました。
それを福祉の展示会に出展するやいなや、全国のメディアから取材を受け、問い合わせが殺到したのです。

そこでは想像だにしなかったたくさんの声が―。

『私の娘は二人とも寝たきりで…』
『旦那は目の手術で半年洗髪してないんよ』
『ばあちゃんの寝床で洗えるやんこれ!』
『介護しとるヨメさんに買ってやろうかな』

必要としている人がやっぱりいた!!
それもたくさんの人たち。
私と同じような人が今すぐ欲しいと言っている。
神様って本当にいる。 大まじめに思いました。

なぜ、ルームシャンプーを作ったのか?

私にはしなければならない仕事がただ目の前にあったのです。
もはや私の使命以外のなにものでもありません。

身体が不自由なおばあちゃんの髪を洗ってあげることができる。
それだけで素晴らしいことじゃないですか。

ガードナー株式会社 代表 福山克義
1959年生まれ。大学卒業後、ハワイ大学空手指導員、エレベーター技師、包装資材メーカーで営業と開発、釣具開発メーカーの(株)Gear-lab設立、ロスアンゼルスに法人のGear-LabUSAを設立。再び包装資材メーカーで商品開発の顧問役。介護、美容の開発会社ガードナー(株)を設立。

 

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